母子癒着の弊害について その2
2012.08.27 Monday 20:16
母子癒着の弊害について その2
前回のブログでは「母子癒着」とは
一体どんな現象を指すものであるか
ということについて書きましたが
今日は
母子癒着のまま大人になったこどもには
対人関係において、
一体どんな弊害が現れるのか
ということについて書きます。
わかりやすい例をあげると
よくそれは
恋愛や結婚など
親密な関係に顕著に顕れたりします。
たとえば誰かを好きになったとき
母親との関係を無意識に繰り返すため
相手との関係性も非常に依存的で
いつも相手と一緒にいたがったり
自分一人だけの行動がとれなかったりします。
また
何か自分のことであっても判断できなかったり
ゆえに自分のしたことに責任を負いません。
というかできません。
なぜならそれはいつも母親によって
その経験が奪われてきたためです。
それゆえ
本来は自分自身が決めたことであったっとしても
思い通りの結果にならない時は
全て相手のせいで
自分には全く責任がないと思ったりします。
しかし、
通常、健康的な関係であれば
その二人の距離感は非常にフレキシブルで
お互いがそれぞれの時間をもつことができるし
恋人やパートナーがいても、
仕事や友達との時間も大切にし
共に依存しあう関係を回避することができます。
そ れによって
それぞれが自分とは全く違う人格をもつ
一人の人間であるという当たり前の感覚を
もつことができます。
つまり互いを尊重しあうことができる
関係性を創ることができます。
しかし
母子癒着の弊害がある人は
お互いを尊重し
それによって創られた信頼感をベースとして
自由で広がりのある健康的な対人関係を
創ることはとても難しく
精神的には
まるで小さなこどもように
常に相手にくっついていなければ
不安でありながら
一方では
母親との関係のように
その窮屈で不自由な関係に
いつも苛立ちを感じています。
これは
母親から自立して自由になりたいと いう
無意識の願望が相手に投影されるため
今度は相手の悪いところだけを取り上げ
密着とは正反対の剥離を望んだりするからです。
このタイプの母子癒着は
母親の溺愛と過保護が原因となっているケースが
非常に多いです。
母親自身が精神的自我の確立がなされていないため
無意識化ではこどもの自立を拒んでいて
いつまでも子離れができないゆえ、
生涯にわたってこどもの人生に過剰に関わろうとします。
そしてその母親もそれを愛情だと思い込んでいますが
本当は自分自身が満たされないため
その自分のことをこどもの人生で満たそうとしている
場合にこのような弊害が出てきます。
しかしもうひとつのタイプの母子癒着として
外からは非常にわかりにくいものもあります。
それはこどもが小さい時に
母親に甘えたいという気持ちを
十分に満たされないまま
甘えの感情を抑圧して大人になった人に
顕れます。
母親が何らかの事情で大変だったりすると
まだ精神的な自立などできるはずのない
むしろまだ母親に十分に甘えることが必要な時期に
こどもは自立的であることを余儀なくされます。
それゆえ
小さいときは母親にとって
非常に都合の良い、聞き分けのいい子だったりします。
またその本人も母親も、周囲の人も
早くから自立していると思ったりしますが
無意識化では
どんな自分でも甘えさせてくれて
自分のわがままや身勝手も受け止めてくれる人を
常に探しています。
しかし実際は
誰もそんな役割を長く続けることはできませんし
大人になってからの対人関係は
お互いを尊重することができなければ
どんな関係性においても
深くなればなるほど、
やがてひずみが生じてきますから
やはり親密な関係を築くことはとても難しいといえます。
いずれにしても
このような母子癒着の弊害に気がつかないまま
繰り広げられる恋愛のパタンは
それぞれお互いに
最初は相手に愛されるために非常に頑張りますが
相手との関係がうまくいかなくなると
今度は途端にその相手のことを徹底的に攻撃したり
泥沼化とするほど醜い争いを繰り広げたりします。
そして相手を完全なる敵とみなし
憎しみから行動することを選んでしまいます。
このように
母子癒着の密着度が行き過ぎてればいるほど
他者とも癒着した関係を繰り返し
その関係がやがて窮屈になると
今度はそれを無理やり引きはがすように
その人と争うという非常に痛みの伴うことを
繰り返すため
対人関係全般のイメージが
敵か味方かというような
恐怖感をベースとしたこころの状態に
留まらなけらばならないことを
余儀なくされるようになっていきます。
この生き方には非常に緊張が伴います。
なぜなら、
何か不都合が起きれば
他者はいきなり敵になるという
恐怖感を伴ったイメージをもっているため
本来、人と人が繋がるうえでの
信頼関係が築けないまま
生きていかねばならないからです。
これは現代の社会問題となっている
いじめや離婚の増加、
また離婚後の片親疎外(PAS)など
その背景には
必ず母子癒着の問題が潜んでいると思われます。
では母子癒着からどうしたら解放されていくのか
次回はそのことについて書いてみようと思います。
こどもの森 最年少 はる君 2か月
この時期は母子が密着していることは
本能的にもとても自然なことです。
赤ちゃんが母親によってしっかり包まれ
守られているような感覚を得ることは
その子の健康なこころを
育むために必要なこころのコア(核)が
創られているときだからです。
この時期に
母親のこころが安定していればいるほど
赤ちゃんも健やかに成長していくことは
いうまでもありません。
しかしもし、この時期に
母親が赤ちゃんに関わることを難しく感じていたり
赤ちゃんに愛情を感じることができないのであれば
育ってくる過程で母子癒着の背景がなかったか、
一度、見直してみるといいかもしれませんね。
こどもの森からのお知らせ
前回のイベント「洞戸へGO〜」は企画通り
夏休み最後の楽しい思い出を、
参加者全員で創ることができました。
参加者の皆様には心からお礼申し上げます。
次のイベントは9月8日(土)に
「こどもの森 あーとまつり、
ひろ君と一緒にでっかい絵を描くぞ〜!」
を企画しています。詳細は下記のこどもの森HPで
ご覧になってくださいませ。
http://www.kodomonomorihiroba5599.info/%E6%9C%80%E6%96%B0news/
前回のブログでは「母子癒着」とは
一体どんな現象を指すものであるか
ということについて書きましたが
今日は
母子癒着のまま大人になったこどもには
対人関係において、
一体どんな弊害が現れるのか
ということについて書きます。
わかりやすい例をあげると
よくそれは
恋愛や結婚など
親密な関係に顕著に顕れたりします。
たとえば誰かを好きになったとき
母親との関係を無意識に繰り返すため
相手との関係性も非常に依存的で
いつも相手と一緒にいたがったり
自分一人だけの行動がとれなかったりします。
また
何か自分のことであっても判断できなかったり
ゆえに自分のしたことに責任を負いません。
というかできません。
なぜならそれはいつも母親によって
その経験が奪われてきたためです。
それゆえ
本来は自分自身が決めたことであったっとしても
思い通りの結果にならない時は
全て相手のせいで
自分には全く責任がないと思ったりします。
しかし、
通常、健康的な関係であれば
その二人の距離感は非常にフレキシブルで
お互いがそれぞれの時間をもつことができるし
恋人やパートナーがいても、
仕事や友達との時間も大切にし
共に依存しあう関係を回避することができます。
そ れによって
それぞれが自分とは全く違う人格をもつ
一人の人間であるという当たり前の感覚を
もつことができます。
つまり互いを尊重しあうことができる
関係性を創ることができます。
しかし
母子癒着の弊害がある人は
お互いを尊重し
それによって創られた信頼感をベースとして
自由で広がりのある健康的な対人関係を
創ることはとても難しく
精神的には
まるで小さなこどもように
常に相手にくっついていなければ
不安でありながら
一方では
母親との関係のように
その窮屈で不自由な関係に
いつも苛立ちを感じています。
これは
母親から自立して自由になりたいと いう
無意識の願望が相手に投影されるため
今度は相手の悪いところだけを取り上げ
密着とは正反対の剥離を望んだりするからです。
このタイプの母子癒着は
母親の溺愛と過保護が原因となっているケースが
非常に多いです。
母親自身が精神的自我の確立がなされていないため
無意識化ではこどもの自立を拒んでいて
いつまでも子離れができないゆえ、
生涯にわたってこどもの人生に過剰に関わろうとします。
そしてその母親もそれを愛情だと思い込んでいますが
本当は自分自身が満たされないため
その自分のことをこどもの人生で満たそうとしている
場合にこのような弊害が出てきます。
しかしもうひとつのタイプの母子癒着として
外からは非常にわかりにくいものもあります。
それはこどもが小さい時に
母親に甘えたいという気持ちを
十分に満たされないまま
甘えの感情を抑圧して大人になった人に
顕れます。
母親が何らかの事情で大変だったりすると
まだ精神的な自立などできるはずのない
むしろまだ母親に十分に甘えることが必要な時期に
こどもは自立的であることを余儀なくされます。
それゆえ
小さいときは母親にとって
非常に都合の良い、聞き分けのいい子だったりします。
またその本人も母親も、周囲の人も
早くから自立していると思ったりしますが
無意識化では
どんな自分でも甘えさせてくれて
自分のわがままや身勝手も受け止めてくれる人を
常に探しています。
しかし実際は
誰もそんな役割を長く続けることはできませんし
大人になってからの対人関係は
お互いを尊重することができなければ
どんな関係性においても
深くなればなるほど、
やがてひずみが生じてきますから
やはり親密な関係を築くことはとても難しいといえます。
いずれにしても
このような母子癒着の弊害に気がつかないまま
繰り広げられる恋愛のパタンは
それぞれお互いに
最初は相手に愛されるために非常に頑張りますが
相手との関係がうまくいかなくなると
今度は途端にその相手のことを徹底的に攻撃したり
泥沼化とするほど醜い争いを繰り広げたりします。
そして相手を完全なる敵とみなし
憎しみから行動することを選んでしまいます。
このように
母子癒着の密着度が行き過ぎてればいるほど
他者とも癒着した関係を繰り返し
その関係がやがて窮屈になると
今度はそれを無理やり引きはがすように
その人と争うという非常に痛みの伴うことを
繰り返すため
対人関係全般のイメージが
敵か味方かというような
恐怖感をベースとしたこころの状態に
留まらなけらばならないことを
余儀なくされるようになっていきます。
この生き方には非常に緊張が伴います。
なぜなら、
何か不都合が起きれば
他者はいきなり敵になるという
恐怖感を伴ったイメージをもっているため
本来、人と人が繋がるうえでの
信頼関係が築けないまま
生きていかねばならないからです。
これは現代の社会問題となっている
いじめや離婚の増加、
また離婚後の片親疎外(PAS)など
その背景には
必ず母子癒着の問題が潜んでいると思われます。
では母子癒着からどうしたら解放されていくのか
次回はそのことについて書いてみようと思います。
こどもの森 最年少 はる君 2か月
この時期は母子が密着していることは
本能的にもとても自然なことです。
赤ちゃんが母親によってしっかり包まれ
守られているような感覚を得ることは
その子の健康なこころを
育むために必要なこころのコア(核)が
創られているときだからです。
この時期に
母親のこころが安定していればいるほど
赤ちゃんも健やかに成長していくことは
いうまでもありません。
しかしもし、この時期に
母親が赤ちゃんに関わることを難しく感じていたり
赤ちゃんに愛情を感じることができないのであれば
育ってくる過程で母子癒着の背景がなかったか、
一度、見直してみるといいかもしれませんね。
こどもの森からのお知らせ
前回のイベント「洞戸へGO〜」は企画通り
夏休み最後の楽しい思い出を、
参加者全員で創ることができました。
参加者の皆様には心からお礼申し上げます。
次のイベントは9月8日(土)に
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を企画しています。詳細は下記のこどもの森HPで
ご覧になってくださいませ。
http://www.kodomonomorihiroba5599.info/%E6%9C%80%E6%96%B0news/