待つことの意味

2013.02.28 Thursday 20:32
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     何か新しい仕事を始めたら
    それが軌道に乗るまでは
    必ず「待つ」ということを
    経験しなければならない。

    それはどんな仕事であっても
    必ずそういうプロセスはあるものだと思う。

    私にもかつてそういう時があった。

    今から17年前・・・
    最初はひたすら
    相談者からの予約の申し込みを
    待っていた。

    希望を持って待っていた。

    でも待てど暮らせど
    なかなか予約の申し込みはこない。

    このままじゃ
    わずかな預金も底つきると思って
    バイトを始めた。

    自給につられて始めたものの
    事務能力のない私は
    その仕事場では
    要領が悪いとか、物覚えが悪いとか
    毎日叱られて

    せっかく相談者からの予約をもらっても
    自信をもってセッションに臨むことが
    できなくなった。

    これじゃあ、元も子もないと思って
    今度は
    自分でも簡単にできそうなバイトを選んだ。

    そんな頃、少しづつ予約が入り始めたけれど
    まだまだ十分といえる生活費にはいたらない。

    それと同時に本業の仕事が増えた分、
    今度はバイトがきつくなってきた。

    でもバイトをやめれば、預金が底をつく。
    反対にバイトを続けたら、
    せっかくその時間に予約の申し込みを
    受けても断らなければならない。

    それは
    いよいよ決断しなければならない時だった。

    その時、
    誰がそういったのかは
    忘れてしまったけれど
    以前、何かの本で見た
    ある言葉がふと頭に浮かんだ。

    それは
    「まだあなたは困っていない。
     あなたの頭がそう決めているだけで
     実際のあなたはまだまだ困っていないはず。」

    そっか〜! 
    私はきっとまだ困っていないのかもと思い
    よくよく考えてみたら
    「私は車をもってる〜!」
    ということを思いついた。

    もし予約の申し込みがなかったら
    車を売って自転車生活になればいいじゃ〜ん!
    と思うことにした。

    そしてさらにそのお金も無くなっちゃったら
    今住んでいるところを引き払い
    実家に頼み込んで
    空いてる部屋を仕事用に借りれば
    なんとかセッションできるじゃ〜ん!
    と思うことにした。

    もちろんそうはいっても
    どちらになるのもいやだから
    なんとかしなければと思ったけれど
    広告を出すお金もないから
    やはり待たねばならぬ・・・むむむ・・・。

    そこでふと思いついたのは

    そうだ! 
    ただ待ってるんじゃなくて
    その間にもっと勉強しよう♪
    と思ったの。

    そして図書館通いを始めた。

    その頃の私の勉強態度は
    生涯の中で一番真面目に取り組み
    我ながらよ〜く集中して勉強したと思っている。

    何しろそれは生きるために必要な
    知識なのだから
    そう思えば学ぶ欲が出てきて
    自然いに集中できてまたよく吸収できた。

    これは今になって
    とても必要な時間だったと思うのは
    実際に忙しくなると
    なかなか勉強する時間がもてないものである。

    しかも一人勉強は実に楽しかった。

    またその頃は
    そうはいっても待つことのストレスで
    ついつい先のことを考えては心配し
    焦り気味になることもあったので

    今度は思い切って
    スポーツジムに行くことにした。

    それまでは平泳ぎしかできなかったけれど
    ジムに行き始めてからは
    クロールで1キロは泳げるようになり
    そのお蔭で、よく寝れるようになったし
    何を食べてもおいしかった。

    実際に私の仕事は何かエクササイズをしないと
    ほとんど頭ばかりを酷使するので
    水泳を始めたことは、
    体とこころの健康なバランスを図るのに
    とてもよかったと思っている。

    ゆえにそのころジムに遣ったお金は
    決して無駄とは思わない。

    また私は、泳いでいるときは
    まるでイルカになったような気分で
    やはり水泳もとてもよく楽しんだ。

    こうして昔を振り返ると
    待つことの大変さをいくつか思い出し
    またそれと同時に
    ただ待つのではなく
    どう待ち時間を意味あるものにするのか
    という格闘も思い出したりした。

    私が思うに
    待つことの大変さを強いられているときは
    「それでもお前は
    この仕事で生きていきたいのか?」
    と仕事から問われている時で

    それでも「待つ」を選択するときに
    プロ根性が引き出されるのではないかと思う。

    また待つときは
    もし待っているものが来なかったら
    ということを考え過ぎるより

    待っているものがいつ来てもいいように
    その準備を十分に楽しんだ方がいいと思う。

    なぜなら考え過ぎれば心配になり
    心配は不安をマグネットのように
    引き寄せてしまうから。

    そういうこころの状態のときは
    決して待っているものを引き寄せることが
    できないものである。

    それよりも
    その待ち時間を有効に使い、
    またそれを楽しんでいれば
    だんだん待っているものが近づいてくる
    というイメージをもつと
    いいのではないかと思う。

    そういう意味では
    悲壮感を漂わせ
    ただ一心に待つ人よりも
    なんとかご飯を食べられる勘考だけしたら
    後は、待ち続ける覚悟を決めて
    楽しんで待てる人の方が成功する!!かもよ(^^)



    My hobby 石ころアート




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    Everybody has chance !

    2013.02.27 Wednesday 21:08
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      何の問題もなく
      人生を生きているように見える人でも
      よくよく深く話を聞いてみると
      悩みや苦労があったりするものです。

      たとえお金持ちでも
      お金ではどうにもならない問題があったり
      また人並み以上の容姿であっても
      容姿ではどうにもならない問題が
      あったりするものです。

      それでも私たちは
      外側から見た時に
      誰にでもわかりやすい何かをもっている人や
      社会的に評価の高い学歴や仕事をもっている人を
      あたかも何の悩みもない恵まれた人だと
      思い込んで羨ましく思ったりします。

      事実、世の中は平等かと問われたら
      決して平等とは言えない
      というのが現実でしょう。

      しかし
      そこで世の中の不平等を嘆いても
      自分の人生が好転することには
      決して繋がりません。

      羨望は人として自然な感情ではあるけれど
      その感情にとどまっていたら
      こころも貧しいままです。

      でもよくよく周りを見渡してみたら...
      たとえば若い時、
      暴走族のリーダーになって
      さんざん悪さをした人が
      後で生徒にとても慕われる
      人気者の先生になったり

      また会社で営業の仕事をしている時は
      いつも成績はさえず
      上司に叱られてばかりいた人が
      デザインの仕事に変わったら
      以前とは全く違う評価で仕事も楽しく
      収入も倍になったという人もいます。

      あるいは

      家の規則が窮屈すぎて
      親に逆らってばかりの悪い子で

      学校の勉強も好きじゃないから
      大した成績でもなく

      また社会に出てどこかに勤めても
      人に言われた通りにするのは性にあわず
      何年かするとやめてしまう。

      だから何をやってもだめかも
      と思っていたけれど

      自分のやりたいことを
      自分のやり方で
      根気よくやり続けているうちに
      自分を活かせる仕事で生きられるように
      なったものもいる…実は、これは私のことね。

      このような例から
      みなさんに気づいていただきたいのは

      世の中は確かに平等ではありませんが
      チャンスは全ての人に平等に訪れます。

      それはいくら過去に失敗があろうとなかろうと
      その気になれば必ずチャンスに巡り合えます。

      またそのチャンスに
      自分をかけるかORかけないかで
      人生は大きく違ってくるものだと思います。

      そしてその時に必要なことはひとつだけ。
      自分を信じる勇気をもつことです。

      またチャンスにかけるということは
      リスクを冒すということでもあります。

      禅語に「子生まれて母危うし」という
      言葉がありますが
      母親がこどもを生むときは、
      自分の命を危険にさらさせねばならない
      というリスクがあります。

      チャンスをつかんでものにする、
      そしてその大きな喜びを得るためには
      勇気を出してリスクを冒すという場面が
      必ずあるものです。

      そしてそう決めたら、
      勇気を出してそのチャンスに挑み
      後はあきらめないことです。

      過去にどれだけ失敗があろうと
      また現在、誰にも評価されていなくても

      別の場所や、別の仕事などに
      チャンスを見出したときは
      ぜひ一度
      このことを思い出してみてください。

      では今日の最後にこの言葉を

      悪人とは、居場所を間違えた善人である。
      逆を言えば、
      どんな善人も居場所を間違えたら
      悪人になりうる。
                    石井裕之




      Shun kun


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      他者支配の欲求を捨てると平和になるよ。

      2013.02.26 Tuesday 19:12
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        人と人とのもめごとは
        ほとんどの場合において
        どちらか一方が
        あるいは双方ともに
        他者を支配したいという
        無意識の欲求に
        こころが奪われているものです。

        たとえば
        相手は絶対間違っている。
        相手だけが悪い。
        全て相手のせいである。

        ということにいつまでも固執して
        相手がそれを認めるまで
        あるいは謝るまで
        その考えに固執する人がいます。

        そういう人は
        他者支配の欲求が非常に強い人だといえます。

        そういう人が他者とぶつかると
        相手のよくないところだけを取り上げ
        いかに相手が悪いかということを
        知らしめることに躍起になるあまり

        果たして自分の考え方や態度に
        相手をそのような気持ちにさせる原因が
        なかったかどうかということについて
        一切目を向けようとはしません。

        また
        相手が完全に悪いか
        そうでなければ自分が完全に悪い
        という二つの選択肢しかないと思っているので

        相手を支配できなければ
        その人は必然的に
        非常に苦しいこころの状態に
        陥ってしまうことになります。

        それゆえますます相手に勝つことに躍起になり
        こころのエネルギーは争うことだけに遣われて
        自らの人生をより良く楽しむための
        生産的なことにエネルギーを遣うことはできません。

        そのため
        他者支配の欲求が強い人は
        自己実現も非常にむずかしく
        ゆえにこころの中は欲求不満でいっぱいになります。

        考えてみれば
        そもそも人と人との間で起こる問題は
        ほとんどのことについて
        どちらかだけが完全に間違っていたり
        悪かったりすることはないと思います。

        実際は
        他者と自分の考えが違うだけなのです。

        しかし
        他者支配に陥っている人は
        他者は「こうあるべきである」という
        自らの強い欲求に囚われているため

        お互いの親和点を見出すことには
        決して目を向けることができません。

        そしてそのようなこころの状態では
        決して平和と穏やかさを感じることはありません。

        それどころか常にイライラし緊張しています。

        そしてそれは
        決して他者がそうさせているのではなく
        その人が他者支配のこころの状態にあるからなのです。

        いずれにしても人と人が親和するには

        まず他者は他者の考えをもっていい
        そして自分も自分の考えをもっていいという
        互いを尊重する心構えであることが大前提です。

        また人は感情動物なのですから
        もめたりぶつかったりすることで
        感情が高ぶってしまう時もあるでしょう。
        その時の言葉や態度を
        後で冷静になって反省したり、
        そして相手のそれを許す気持ちをもてるように
        なることも大切だと思います。

        人が100人いれば
        100通りの考えがあります。

        ゆえに
        人と人とがもめたりぶつかったりすることは
        時にいたしかたないことだと思いますが

        肝心なことは
        その後にどうそのことを解決するか
        またどうしたら親和できるかということを
        他者に求めるのではなく
        自分の中からそれを見つけ出そうと
        することだと思います。

        また人はそうして親和能力を高め
        自分のこころを平和にすることで
        その周りや世界の平和に貢献することが
        できるようになるのだと思います。



        老子は不争のこころ・・・争わないことに知恵を遣うことが
        大切だと教えてくれています。
        私が思う真に教養のある人とは
        決して争うことにこころのエネルギーを遣うのではなく
        人を含む自然と調和することに心のエネルギーを遣う人では
        ないでしょうか? 
        またそういう人は人との親和能力も高いものだと思います。

        争っても一日、楽しんでも一日、
        同じ一日を過ごすのであれば、不争のこころをもって
        毎日を過ごしたいものですね。




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        苦しみのもとはどこから?

        2013.02.25 Monday 20:19
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           私たちが抱える苦しみは
          自己の現実と自己の概念が食い違っているとき
          に起ります。

          たとえば自分の体重が50キロだったとします。
          それが自分の現実なのに
          45キロであるべきだと思っていれば
          余分に5キロ体重があることが許せないので
          その体重の自分に不満を持ちます。

          そして45キロにまで
          その体重を落とすことができなければ
          その自分を責めたり恥じたりすることになります。

          つまり自己現実は50キロであるのに
          自己概念は45キロであるために
          自己不一致となるゆえ苦しみが生じているわけです。

          このことは人生のいろんなことに
          あてはまります。

          たとえば
          ある女性の月給は15万円で、
          その中から車のローン、食費、保険代、
          交際費、また自分の身の周りに使う費用などを
          考えると、経済的自立はむずかしいというのが
          現実の状態だとします。

          しかし彼女の結婚相手に対する
          そうあるべきだという概念が
          高級マンションで暮らすこと、
          年一回の海外旅行、週末はレストランで外食、
          さらに相手は彼女のことを
          お姫様の様にやさしく扱うべきである
          なんてものであったとしたら

          相手がその欲求を満たせない分だけ
          彼女の結婚生活は
          不満だらけになるでしょう。

          また相手も
          そのように欲求ばかりがが強い人を
          愛し続けることはできなくなるでしょう。

          なぜならそれは相手によって
          ありのままの自分が
          否定されていることと同じだからです。

          これはいささか極端な例かもしれないですが
          でも結婚することによって
          今よりもいい生活を望んでいるとしたら
          大なり小なり
          いずれ自己不一致感による苦しみを
          味わうことになると思います。

          そして仮に自分の欲求を満たしてくれる
          相手に変えたとしても
          そもそもの自己不一致は
          その人の中にあるものですから
          その人があるがままの自分を受け入れることが
          できない以上は、
          また自分の現実とはかけ離れた
          概念にしがみつき苦しむことになります。

          では自己を一致のさせるには
          一体どうすればいいのでしょうか?

          先ほどの例に従うと、

          私の給料は15万円。
          その中からいろいろ必要なものに
          お金を払うと、
          経済的自立はちょっと難しいかも...

          それこそがよく悪くも現実の自分です。

          その自分の現実をまず認めることです。

          そしてあるがままの自分を受け入れてあげることです。

          そのうえで
          現在よりも豊かな暮らしを望むのであれば
          結婚相手がその自分の欲求を叶えるべきである
          という概念を捨てて

          たとえば
          結婚相手と話し合い
          一緒に高級マンションを買う計画を立て
          共に働き、ともに節約してその夢を叶えたい
          という向上心に従うのであれば
          自己一致したこころの状態で
          結婚生活が送れるはずです。

          もし今現在、
          思い通りにいかなくて苦しんでいたり
          それゆえこころが怒りや不満でいっぱいの人は

          まず
          あるがままの自分を受け入れるということに
          ぜひとも目を向けて見られるといいと思います。

          またあるがままの自分を受け入れるということは
          感謝の気持ちを持つということです。

          またそれが本当の意味での
          こころの幸せといえるのではないでしょうか。

          では今日の最後にこの言葉を

          自分の持っている道具が
          「カナヅチ」しかないと、
          すべての問題が
          「クギ」に見えてしまうものである。
                       アブロハム マズロー



          草花が美しいのは、ただ一生懸命咲いているから。
          自然は物言わぬ先生ですね。





          チビ姫の小さな冒険

          2013.02.24 Sunday 15:21
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             昨日は午後から養老公園の近くにある
            赤石神社を皮切りに、
            滝を目指してトレッキングしてきました。



            さてこれからチビ姫&パパ+ボサボサ王子(犬)と
            一緒にまず赤岩神社を目指します。



            赤岩神社到着。
            ここまではちび姫にも朝飯前。パパと一緒に余裕のピースサインです。



            ここでお参りをさせていただいて
            カエルさんのお口か出ている山の湧水をいただきまた。



            次は森の中にひっそりとあった白龍大神へ到着。
            チビ姫もえっさえっさ階段を上ってついて来ました。



            先頭はボサボサ王子。二番手は私に続いてチビ姫が
            元気な足取りで後をついてきます。後方ではパパが
            チビ姫を見守りながら、次はいよいよ長寿の滝を目指します。



            そこからは雪もちらちら舞ってきて
            まさに養老山脈の中に入って来たという感じでした。
            木々の間から見た景色はご覧の通り。



            山の中をさらに800m歩いた後、この階段を上りきったところに
            長寿の滝があります。チビ姫、ここでも奮闘してパパに続いて
            階段をよいちょ、よいちょといいながら登っていきました。



            これが長寿の滝〜! マイナスイオンを浴びて気持ちいい〜!



            下りは階段が急なのでパパがチビ姫をエスコートして慎重に。



            坂の途中で見つけた石に思わず目を奪われました。
            きれいな模様でしょ〜。雪と不思議模様の石。
            まさに自然のアートですね。次は最終目的地です。



            途中で見つけた崖っぷち!
            崖っぷちのカウンセラー、ここで写真を撮ってもらってご機嫌でした〜。



            この崖っぷちから見えた景色はこんなんよ〜!



            チビ姫も崖っぷち歩きに挑戦しました。



            みごと、チビ姫も同じ崖っぷちに立って、誇らしげに
            ピースサインです。



            目的地到着!この神社の向こうにも滝があり
            脇には山の脇水が流れる細い川、そして河原には雪が。
            とても美しいところでした。



            チビ姫も無事、最後まで登り切って嬉しそう〜。



            帰り道、チビ姫のエネルギーが残りわずかになって
            きたようで少しペースダウン。でも後でケーキ屋さんへ
            行こうねと言ったら、またペースがぐんとあがりました。



            気を取り直したのか、遊歩道の案内の前でもご機嫌スマイル!



            脇道でひっそりと春を待つ、花の蕾を楽しみながら無事、帰路へつきました。

            さて、いよいよこどもの森は3月30日(土)より、また活動を始めます!
            今度の企画は、「Let,s make kids garden !」ということで
            大人もこどもも、参加者全員でみんなのガーデンを作ろうという
            企画です。土や苗+種はこちらでご用意します。
            また簡単な軽食もこちらでご用意いたします。
            参加者は土いじりできる服装で、ガーデングッヅ(スコップや軍手)
            などをご持参ください。

            みんなで、ユニークなガーデンを一緒に創ることを
            こころから楽しみにしています!

            では今日の最後に、無事トレッキングを終えて
            山盛りご飯を食べた後のチビ姫とボサボサ王子の写真を・・・



            満足・・・ チビ姫どんな夢を見てるのかな〜?



            By for now ...



            こどもの森の次回の活動の詳細は、
            近日中にHPの最新情報でお知らせいたしますので
            興味のある方は、ぜひご覧になってください。


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            もしあなたの彼が浮気したらどうする〜?

            2013.02.22 Friday 20:22
            0

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              今日は女性の方に
              ある質問をするところから始めます。

              もし自分の恋人が
              あるいはご主人が浮気をしていた
              ということがわかったらどうしますか?

              怒る、なじる、ほっぺたひっぱたく、
              容赦なく別れる、泣く etc...。

              もちろんされた側は
              こころの痛手を負ったわけですから
              どれが相手に出たとしても驚きません。

              同じ女性としてよ〜く理解できます。

              しかし中には
              それでも愛しているから
              その過ちを赦してあげようと思う女性もいるかも。

              あるいは
              男の浮気の一度や二度は仕方ないという
              広い心でドンと受け止められる人もいるかもしれない。

              いずれにしても
              どうするのが正しくて
              どうするのが一番いいかなどという答えは
              どこにもありません。

              しかしながら
              これだけはよくないんじゃないかと思うことは

              相手のことを許せないのに
              許したかのようにふるまって
              いつまでもその相手をグチグチ責め続けること。

              あるいはことあるごとにそのことを持ち出して
              何度でも相手を責めること。

              それでは相手も許されたことに感謝して
              こころを入れ替えようなどとは思わないし
              終いには「だから俺は浮気したんだ」と
              開き直りたくなるなるのではないでしょうか。

              またもう一つどうかと思うのは
              浮気されたから、
              同じようにこっちもやり返すという行為。

              それは後でもっと自分がみじめで情けない感情を
              抱かねばならないのではないかと思います。

              なぜなら
              相手に同じ気持ちを味わせてやりたい
              という憎しみを動機に
              好きでもない人とSEXをしても
              気が晴れるどころか
              さらに自尊心が傷つきます。

              またそのことにより
              二人の関係はよくなるどころか
              どんどん泥沼化する可能性も出てきます。

              そしてそれらの行為は
              いくら美しい女性であっても
              その人自身を醜くしてしまいます。

              しかしそうはいっても
              相手のことを心から信頼し、愛していたなら
              実際にはそうそう簡単に
              相手のことを許せませんね。

              それ以前に心の傷の痛みで
              一体この先
              その相手とどうしていきたいのかも
              わからなくなってしまうかもしれません。

              そうであれば
              思い切ってその相手と距離をとり
              ひとりになることをお薦めします。

              その間に信頼のおける誰かに
              話をきいてもらったりするのもいいでしょう。
              またぶらりと旅にでるのもいいかもしれません。
              あるいは思いきり一人で泣きたいかもしれません。

              いずれにしてもその場合は
              互いが向き合って解決しようなどと思わないで

              なんでもいいから
              その相手がいなくても大丈夫な自分を
              まず取り戻すことが必要だと思います。

              そしてそのうえで
              「相手を許そう」と思えたら
              二度とそのことには触れないということを
              自分に約束した方がいいのではないかと思います。

              本来、許すとはそういうことですから。

              でもどうしても許すことができなければ
              それは仕方のないことですし
              またそれもよ〜く理解できます。

              間違ってもそのことに耐え
              我慢しなければならないなんて
              思う必要はないと思います。

              またそれは
              決してお互いにとっていいことにはなりません。

              ゆえに
              当然その場合はそのことを相手に伝え
              その関係性を解消することになると思いますが
              それも一つの選択です。

              たとえ夫婦であったとしても
              男女の関係とは別れるという選択肢を
              もともと含んでいる関係性なのですから

              相手と別れることを選択するのであれば
              その選択がよくなるように
              生きていくのがいいのではないでしょうか。


              では今日の最後は男性にこの言葉を

              甘い蜜の味を知ってしまったら、
              さらなる深みに溺れてしまうのが浮気というもの。
              それだけの覚悟と努力ができるものだけが
              許される禁断の扉ということを、
              くれぐれもお忘れなきよう。
                            三輪明宏





              どうする〜? 
















              対人関係が苦手だと思っている人へ

              2013.02.21 Thursday 20:38
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                 対人関係が苦手だと思っている人に
                その理由を尋ねると

                相手によって否定されるのではないか
                また相手に気に入ってもらえる話し方が
                できないのではないかなどと
                相手が自分のことをどう思うかについて
                考え過ぎてしまうため緊張したり
                あるいは疲れるということをよく言われます。

                もちろん大なり小なり
                他者が自分のことをどう思うかということについて
                気にならない人はいないでしょう。

                しかし気にし過ぎている人は
                対人関係が苦手だと思ってしまう傾向があります。

                でもそう思っている方と
                実際にお会いして対話をすると
                その話し方や態度には
                ほとんど何の問題もありません。

                しかしそう思う人の共通点として
                小さい時から親に気に入られるために
                つまり
                親によって自分のことを肯定してもらうために
                頑張っていたということがわかります。

                そのような人がそのまま大人になると
                本来の自分をそのまま表現するのではなく
                相手に気に入られるための自分をつくり
                本当の自分を隠したりするようになります。

                まずそのこと自体に緊張し
                その人をリラックスさせてくれません。

                またそのように本当の自分を隠すということは
                自ら自分を否定することに繋がります。

                しかしよくよく考えてみたら
                いくら相手に気に入られる自分を取り繕っても
                その自分は本来の自分ではないのですから
                決して実際の自分が肯定されているとはいえません。

                またそのように
                他者によって気に入られるように
                頑張れば頑張るほど
                本当の自分に価値を感じられなくなります。

                しかし少しとらえ方を変えて

                他者には自分の正直な気持ちを伝えよう
                それが他者に対して誠実なことだから

                そしてそのように
                誠実に他者に接する自分のことを
                自分が認め肯定してあげよう
                と思うのはどうでしょうか?

                最初はちょっと勇気がいるかもしれません。
                また頭ではその方がいいと思っても
                なかなかうまく
                自分の本当の気持ちが言えないかもしれません。

                特に自分の意見や考えが相手と違う時
                あるいは相手に何か頼まれたり、
                誘われたりしたとき
                それを断るときは
                ちょっとドキドキするかもしれませんね。

                その場合は一ついい方法があります。
                英語圏の人がよく使う
                「No thank you」スタイルをお薦めします。

                たとえば
                何か頼まれたとき
                「自分の仕事もいっぱいでできないの。
                 でも訊いてくれてありがとう。
                 もし納期までに片付いたらこちらから言うわね。」

                あるいは
                誰かに誘われて断るとき
                「明日はすでに予定があっていけないの。
                でも誘ってくれてありがとう。
                次の機会には行けるかもしれないからまた誘ってね。」

                というように
                正直に自分の気持ちを伝え、
                そしてその気持ちは
                嬉しいと思っているということを付け加えれば
                通常こころが健康な人なら
                十分に理解できますし、
                むしろ誠実な人だと思うのではないでしょうか?

                いずれにしても
                自分に責任があるのは自分の感情であり
                相手の感情にまで、責任を持つ必要はありません。

                まず自分自身が他者に誠実であろうすることが
                何より大切だと思います。

                そして
                後は他者のとらえ方に
                おまかせするしかありません。

                万が一、そのように誠実に接しても
                悪く思うような人であれば
                その感情はその人のとらえ方によるものですから
                そこまで自分が責任をとる必要はないと思います。

                では今日の最後にこの言葉を

                あなたが堂々と人と接し、
                いろいろのことに挑戦し、
                素晴らしい人生を送るのに必要なのは、
                「自分に近い人は、自分の短所で自分を責めたりしない」
                という感じ方なのである。
                                  加藤諦三





                Lucky,No〜〜〜〜!!
                りおたんは「NO!」を連発する毎日よ。
                でもLucky is my best friend
                そしてりおたんには、まだ「No Thank you]
                むちゅかしい・・・。



                遠方にお住まいの方はSKYPEカウンセリング
                もやっていますので、詳細はHPをご覧になってください。


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                不快な感情はどこから?

                2013.02.20 Wednesday 21:14
                0

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                  なんとなくいつも不機嫌だったり
                  また人の幸せが不快であったり
                  あるいはよく腹が立つときは

                  思いのほか自分の要求が多すぎるのではないか
                  ということに気がつく必要があると思います。

                  またそもそも要求が多いということは
                  幼児性が強いということでもあります。

                  なぜならこどもは
                  自分の側だけからしかものごとが見えないので
                  必然的に自分の要求だけを訴えます。

                  親にお金があろうがなかろうが
                  何か欲しいと思ったときは
                  欲しいと要求するのがこども自然な姿です。

                  またそのように
                  こどもは自分の要求を通して
                  親から注目されたいのです。

                  なぜなら
                  それによってこども本来の甘えの欲求が満たされ
                  親を通して自分の存在が価値あるものだと
                  感じられるからです。

                  もしあなたがこどものときに
                  親や周囲の大人にとって
                  手のかからないいい子であったとしたら
                  必ず甘えの感情が抑圧されているはずです。

                  そのことに気がつかないうちは
                  「あなたは私にこうするべきである。」
                  という要求が
                  実は幼児的な甘えの感情とは思わず

                  それは常識であるとか
                  正しいことであるとか
                  という理由で、他者の言動に腹を立てたり
                  あるいは責めたりします。

                  でもそれは
                  ただ自分の要求を
                  満たしてほしいという甘えの感情なのです。

                  もしそれに気がつくことができれば
                  甘えの感情を満たしたいという自分をも
                  受け容れてあげることができるでしょう。

                  実際に私たちは大人になっても
                  甘えたいときがあります。

                  しかし大切なことは
                  自分が甘えさせてもらっていることを
                  自分自身が知っているかどうかということです。

                  もし知らなければ
                  当然ながら不機嫌になります。。
                  なぜなら他者は自分の思い通りにならないものだから。

                  また人の幸せは不快です。
                  なぜなら自らの要求を自分で満たしている人を
                  肯定することは、
                  それを抑圧してきた自分を否定することになるからです。
                  ゆえにその満たされない怒りは嫉妬になります。

                  そして常にそのような欲求不満があるため
                  他者の言動による小さなことでも
                  よく腹を立てることになります。

                  もしこのように
                  自分の内側に
                  原因不明の不快な感情があるときは
                  認めがたいけど自らの幼児性に気づくことです。

                  そうすることが
                  自分と自分の関係を整えることになり
                  またそれが自己実現への扉を開くことに
                  繋がると思います。

                  では今日の最後にこの言葉を

                  自己実現している人にとって、
                  他人の自分に対する反応はそれほど重要ではない。
                  自分の主な満足は、
                  他人の自分に対する反応よって得られるのではなく、
                  自分の内的な成長によって得られる。
                                加藤 諦三








                  対立すること

                  2013.02.19 Tuesday 21:58
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                    対人関係が苦手であると思っている人に
                    なぜそう思うのかを話していただくと
                    「対立することはよくないことだ」
                    という考えにとらわれていることがあります。

                    しかし
                    人が二人いれば
                    対立してあたりまえです。

                    むしろ一度も対立しなかった関係は
                    本当に理解しあった関係とはいえないと
                    思います。

                    そう考えたとき
                    対立することのいい側面として
                    自分の本音が言えたり
                    同じように相手の本音を知ることができます。

                    それは互いの本質に触れあえたということです。

                    大抵の場合において
                    人と人が対立するときは
                    自分が相手にわかってもらいたいということを
                    相手がわかってくれて当たり前だという前提で
                    話す時だと思います。

                    たとえば
                    夫が妻に「なぜおまえはそんなに口やかましいんだ?」
                    と言うときは、
                    もしかしたら
                    「最近仕事でテンパってるから、少し一人の時間が
                    欲しい」ということを妻にわかってほしいのかもしれない。

                    また妻が夫に「どうして人の話をいい加減にしか聴こうと
                    しないの?バカにしてるんでしょ?」という時は
                    もしかしたら、
                    「子育てや学校の役で疲れているから、
                    たまにはやさしい言葉でねぎらってほしい。」
                    ということを夫にわかってほしいのかもしれない。

                    そんなふうに
                    自分が言わずして、
                    無意識にわかってもらいたいと
                    相手に期待していたことが見えてくると、
                    相手のそれも見えてくるものです。

                    そしてそれは
                    対立したからこそわかるのであり
                    対立を避けたままでいれば
                    互いを理解することは永久にできません。

                    ゆえに
                    対立することそのもが決して悪いわけではなく
                    むしろそれはお互いを理解しあうためには
                    必要なことであるととらえ直してみると
                    対立することを恐れていた気持ちが
                    緩むのではないかと思います。

                    そして
                    対立したらそれをどう解決するか
                    そこが最も対立することに意味のあるところで
                    それによって
                    さらにお互いの絆を深め、
                    信頼を培うことになる場合もあれば
                    反対にお互いに傷を抉りあい、
                    ひどい関係になってしまうこともあります。

                    中には
                    意見が食い違って衝突したら
                    その相手を敵にして
                    徹底的にやっつけないと、
                    気が済まないという人もいます。

                    そのタイプの人は
                    自分に完全に同調できる人がいるという
                    非現実的な思い込みに囚われているため
                    基本的に対人関係の解決能力はありません。

                    勝つか負ける
                    謝るか謝らせる

                    それはこどもの精神状態と同じで
                    精神的に成熟している人であるなら
                    そんなことには執着せず
                    お互いにとって
                    よい解決法を見出そうとするものです。

                    ですからそのような思考システムにある人とは
                    対立する意味が見い出せません。

                    もともと
                    相手を理解しようという考えを
                    持てない人といくら対立しても
                    無駄にエネルギーをとられるだけだからです。

                    ゆえに勝手に怒っててもらうしか
                    仕方がありませんね。(苦笑)

                    したがって
                    そのような人は自分がいらないと思った方が
                    それ以上の問題は起きないと思います。

                    その場合、その人にどう思われるかは
                    もうその方におまかせすることで
                    距離を取るのが一番得策
                    と言えるのではないでしょうか?


                    では今日の最後にこの言葉を

                    対立が何度起こるかではなく、
                    いかに解決されるかこそが、
                    あらゆる人間関係で決定的な要因である。
                                   トマス.ゴードン






                    Me
                    「りおたん、りこたんとケンカしたね?」
                    りおたん
                    「うん、りおたんちょっと怒って
                     りこたんも怒って、でも後で一緒にお風呂入ったもん。」
                    Me
                    「そっか〜。じゃあケンカしてもまた仲良くなって
                     楽しかったね〜。」
                    りおたん
                    「うん、お風呂でアワアワぶくぶくしたから
                     またりこたんとあそぶもん。」


                    こどもはあたまがいいね〜!


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                    Just do it ! 

                    2013.02.18 Monday 20:30
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                      ユダヤのことわざに
                      「何も打つ手がないとき一つだけ打つ手がある。
                      それは勇気を持つことである。」
                      というのがある。

                      この言葉を知って以来
                      我が身が八方塞だと感じた時は
                      いつも「勇気を出せ」
                      あるいは「勇気をください」と私は祈る。

                      実際には
                      生死にかかわるような大きな勇気がいる場面は
                      そうそうあるものではなく

                      大抵は
                      今までは言えなかった
                      今まではやったことがなかった
                      今まではできないと思っていた

                      そんなことにちょっと勇気を出して
                      挑んでみると、ものごとの展開が
                      よい方向に変化していったりするものである。

                      話は変わるが
                      ずいぶん昔のことになるけれど
                      私はニュージーランドを一人で旅したことがある。
                      これはパックツアーではなく、
                      バックパックスタイルの旅だったので
                      現地では何もかも全て一人で
                      やらなければならなかった。

                      この旅を決行する前は
                      外国を一人で旅行するなど特別な人がすることで
                      自分がそのようなことをできるなどとは
                      夢にも思わなかったので

                      行く前はものすごく緊張して
                      できるものなら取りやめたいと思ったけれど
                      勇気を出して飛行機に乗り込んだ。

                      そして旅から帰ってきたときは
                      その自分がやけに
                      素晴らしく思えたことを覚えている。

                      今までできないと思ったことを
                      一人で挑んでみるという体験をすると
                      今まで知らなかった自分に出会える。

                      その自分とは
                      ちょっと勇気を出せば
                      今まで絶対にやれないと思っていたことが
                      できる自分なのだ。

                      その自分に出会えば出会うほど
                      人生の難関を乗り越えるときに
                      たじろがず自分を信頼することができる。

                      そしてまた八方塞の時こそ
                      思い切って勇気を出せば
                      今まで知らなかった
                      たくましい自分に出会えるチャンスだと思う。


                      では今日の最後にこの言葉を

                      頭で考えるな。肌でつかめ。
                                  ブルース・リー





                      3歳の孫娘は、この土手を一人で登るのが
                      最初は怖くて登れないと言っていたけれど、
                      先に私が桜の木のところまで登って
                      「バッチャンのところまで登っておいで〜!
                      気持ちいいよ〜!」と言ったら
                      「じゃあクマさんの四本足でやってみる」
                      と言って、以前教えてやった坂登り4本足の
                      スタイルでえっこらえっこら登ってきた。
                      その後は小さいなりに
                      きっと自分が誇らしかったのか
                      BIG SMILE & ドヤ顔でした。
                      また新しいりおたんに出会えてよかったね。

                      Yes you can do that !  Just do it !





                      Calender
                           12
                      3456789
                      10111213141516
                      17181920212223
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