make peace by myself
2013.10.24 Thursday 12:46
怒りの感情が湧くたびに2.5秒命が縮まる
ということを何かの記事で読んだことがありますが
確かに怒ることは体の健康によくありません。
怒りは血液を汚し、ドロドロにし
心臓にも大きな負担をもかけます。
しかしただ怒りの感情を抑え込んで
そのまま溜めこんでいくと
爆発したり、または無気力に陥ったり
あるいは体の健康を損ねてしまいうことに
なりかねません。
できれば怒った瞬間に一呼吸して
なるべく感情に振り回されないで
その不快な感情を相手に伝えることが
できるといいのではないかと思います。
またとらえ方を変えることで
怒りを感じる必要がなくなることもあります。
なぜなら
感情というものは全て
自分のものごとのとらえ方によって
派生するものだからです。
たとえば
自分だけが正しいと思っている人は
全て相手が悪いと思っているわけですから
相手がそれを認めて変わらない限り
傷つき、腹を立て、怒りの感情に
ずっと支配され続けることになります。
しかし
自分の正しいと相手の正しいは
必ず一致するとは限りません。
ゆえにもし自分の正しいを貫きたければ
相手を変えようとするより
その相手と距離をとるなりして
その人を必要としない自分になるほうが
むやみに腹を立てなくて済むようになります。
されど夫婦や親子の間のように
生活なども一緒になっていたりする間柄に
おいては、それもなかなか難しいものです。
これは一年前から息子や孫と暮らし始めた
私も痛感していることです。
その中で見出した一つの考えは
「人間が二人以上、
共に一つ屋根の下で暮らすには
ぶつかることはあたりまえである。
その都度、あきらめること、妥協すること、
許すことを学ばねばならない。」
ということです。
そして自分が勝手に抱いていた
理想の夫婦とか幸せな家庭というものに対する
幻想を捨てることです。
でもそれは人生をあきらめることとは
違うと思っています。
そうではなく
ありのままの現実を受け容れて
その中で自分のこころの平和を保つには
このとらえ方がいいのではないかと
いうところに行きついたわけです。
またそれは
決して誰かによって得られるものではなく
あくまで自分によってしか得られないもの
だと思います。
そう考えると
今の私が学んでいることは
蔓のようなしなやかなこころの強さを
もてるようになることかもしれないと
思ったりするのです。
自分の思いや意見を強固に通すことより
相手の思いや意見を柔らかく受け止めること
そしてできれば鋭く構えず
鈍に構えて、もう一回り器を大きくすること
簡単ではありませんが
どうやら今はこれを学ぶ途にあるようです。
make peace by myself
食事しながら
「おいしいね」と言える相手がいることは
それを作るのも洗うのもその人数分だけ
手間がかかることなんだ。
そしてその人数分だけ喜びもあれば
心配ごとやトラブル、病気もあるものなんだよね。
そういう中でぶれないこころ、平和なこころを
培っていくことが人生の勉強だね。
ということを何かの記事で読んだことがありますが
確かに怒ることは体の健康によくありません。
怒りは血液を汚し、ドロドロにし
心臓にも大きな負担をもかけます。
しかしただ怒りの感情を抑え込んで
そのまま溜めこんでいくと
爆発したり、または無気力に陥ったり
あるいは体の健康を損ねてしまいうことに
なりかねません。
できれば怒った瞬間に一呼吸して
なるべく感情に振り回されないで
その不快な感情を相手に伝えることが
できるといいのではないかと思います。
またとらえ方を変えることで
怒りを感じる必要がなくなることもあります。
なぜなら
感情というものは全て
自分のものごとのとらえ方によって
派生するものだからです。
たとえば
自分だけが正しいと思っている人は
全て相手が悪いと思っているわけですから
相手がそれを認めて変わらない限り
傷つき、腹を立て、怒りの感情に
ずっと支配され続けることになります。
しかし
自分の正しいと相手の正しいは
必ず一致するとは限りません。
ゆえにもし自分の正しいを貫きたければ
相手を変えようとするより
その相手と距離をとるなりして
その人を必要としない自分になるほうが
むやみに腹を立てなくて済むようになります。
されど夫婦や親子の間のように
生活なども一緒になっていたりする間柄に
おいては、それもなかなか難しいものです。
これは一年前から息子や孫と暮らし始めた
私も痛感していることです。
その中で見出した一つの考えは
「人間が二人以上、
共に一つ屋根の下で暮らすには
ぶつかることはあたりまえである。
その都度、あきらめること、妥協すること、
許すことを学ばねばならない。」
ということです。
そして自分が勝手に抱いていた
理想の夫婦とか幸せな家庭というものに対する
幻想を捨てることです。
でもそれは人生をあきらめることとは
違うと思っています。
そうではなく
ありのままの現実を受け容れて
その中で自分のこころの平和を保つには
このとらえ方がいいのではないかと
いうところに行きついたわけです。
またそれは
決して誰かによって得られるものではなく
あくまで自分によってしか得られないもの
だと思います。
そう考えると
今の私が学んでいることは
蔓のようなしなやかなこころの強さを
もてるようになることかもしれないと
思ったりするのです。
自分の思いや意見を強固に通すことより
相手の思いや意見を柔らかく受け止めること
そしてできれば鋭く構えず
鈍に構えて、もう一回り器を大きくすること
簡単ではありませんが
どうやら今はこれを学ぶ途にあるようです。
make peace by myself
食事しながら
「おいしいね」と言える相手がいることは
それを作るのも洗うのもその人数分だけ
手間がかかることなんだ。
そしてその人数分だけ喜びもあれば
心配ごとやトラブル、病気もあるものなんだよね。
そういう中でぶれないこころ、平和なこころを
培っていくことが人生の勉強だね。