どうしたらパートナーや恋人との関係を、改善修復できるのでしょうか?

2015.11.30 Monday 12:25
0
     
    みなさん、こんにちは。

    私のカウンセリングメニューの中には
    カップルセッションというのがありますが
    これは主に親密な関係にある男女(夫婦や恋人どうし)
    の対人関係についてお取り扱いしているものです。
    (厳密に言うと 男×男 女×女 もお取り扱いの範囲です)

    またその中で最も多いご相談内容は
    「どうしたら相手との関係を改善できるか
     あるいは修復できるか」
    というものです。

    それに関する具体的な答えはありませんが
    あるひとつのことに気づかれることによって
    多くの方が互いに満足のいく対人関係へと
    変えていかれることがよくあります。

    それは
    「自分は相手を所有としようとしているのではないか」
    ということです。

    このように相手を所有したいという欲求は
    相手を支配しようとすることになります。

    また相手を必要とし過ぎていると
    自分を相手に支配させます。

    しかしその動機はどちらも同じで
    相手を支配することで
    また相手に支配されることで

    その相手を自分の望む通りに変えたい
    という欲求があるからなのです。

    されど正直言って
    それは大なり小なり誰にでもある欲求ではないか
    と思います。

    ゆえに肝心なことは
    その欲求が肥大化し過ぎていないかどうか
    ということに気づくことなのです。

    なぜならもしそうであれば
    そもそも自分と自分の関係がよくない状態に
    あるからです。

    また自分というものに満足していなければ
    相手が相手らしくあることを受け容れることは
    できないものです。

    それゆえ
    もし相手が○○だったら
    あるいはもっと相手が○○すれば

    というように
    相手の言動や態度の中に
    自分の幸せがあるように思ってしまうのです。

    しかし人は誰でも
    自分を無理に変えようとする人のことは
    愛せません。

    なぜならそれは本来の自分が愛されているわけ
    ではないからです。

    ゆえにひとたび
    支配する×支配されるという関係になると

    お互いの間には

    不満や疑い(不信感)
    嫉妬や束縛
    怒りや罪悪感

    などがどんどん溜まっていくことになります。

    当ルームでは
    カップルでカウンセリングを受けることによって
    お互いがこころに抱えていることを十分に話し
    また聴きあうということをしながら

    コミュニケーションが回復することを
    大切にしています。

    またそれとともに必要であれば
    別々に個人セッションを受けていただくことにより
    自分と自分との関係を見直すことも大切にしています。

    いずれにしても
    自分の幸せの源は相手の中にあるのではなく
    それは自分の中に見いだす必要があるものです。

    そうすればきっと
    相手が喜んでしていることは
    自分の喜びにも繋がる
    という関係に変わっていくのではないかと思います。





    カップルセッションでは
    どちらが正しくてどちらが悪いということを
    判断したりする場ではありません。

    まずは両者ともすっきりするまで
    自分の気持ちを話すこと

    そして相手の話すことにじっくり耳を傾けて聴く
    ということを大切にしています。

    なぜなら正常なコミュニケーションができなくなる原因は
    お互いの感情的な問題やさまざまな不安によって
    自分を正当化したり、あるいは相手をねじふせようとしたり
    または黙り込んでしまう

    などというように
    話し合うことができないという状況を
    共につくってしまうからです。

    日本ではまだまだですが
    欧米ではカウンセリングを受けることで
    夫婦の問題を改善修復しようとすることは
    すでに多くの人に普及しています。

    これがいいのか悪いのかは別として
    よくないまま別の捌け口を求めたり
    あるいはケンカ棒千切れで別れてしまうよりは

    自分達の問題を
    まずは冷静に、そして客観的に眺めてみようとすることは
    いずれにしても長い人生において
    とても意味のあることではないかと思います。






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    うつに苦しんでいる人へ  良書「医者の私が薬を使わずうつを消し去った20の習慣」のご紹介です。

    2015.11.29 Sunday 15:07
    0

      みなさん、こんにちは。

      私が今まで読んだ本の中で
      これはうつで悩んでいる人に
      とても役立つことが書かれていると思ったのが、

      宮島賢也氏(精神科医)による
      「医者の私が薬を使わずうつを消し去った20の習慣」
      という本です。

      著者はうつの診断をされてから
      抗うつ薬を服用するようになりましたが

      その症状はよくなったり悪くなったりの繰り返しで
      主治医からは「一生薬を飲み続けるといいよ」
      といわれて、
      7年間もうつ状態に苦しんだそうです。

      そして自らも精神科医になり
      うつと診断した患者さんには
      抗うつ薬を処方していたのですが

      次第に「うつを薬で治す」ということに
      疑問を持ち始めたそうです。

      なぜなら
      著者本人だけではなく
      患者さんも治らなかった、
      あるいは再発を繰り返すということが
      ほとんどだったからです。

      それゆえ著者は
      いったいどうすればうつ状態から脱することができるのか
      ということの答えを求めて
      医者以外の人の本をたくさん読むようになり

      次第に
      「自分の考え方やものごとの受け止め方などを変えていかないと
       うつ状態から抜け出せないのではないか」
      と思うようになったのです。

      そして著書はなぜ自分がうつになったのか
      という根本の原因を見つけるために
      自分の人生を振り返りました。

      それによって
      うつを作りだしたと思われる
      考え方、言葉、生活習慣、食生活に気づきました。

      そしてその気づきを参考に
      自らの人生を変えていくという体験から
      うつを消し去るための独自のメンタルセラピーを
      考案するに至りました。

      それは誰もが日常でできる習慣として
      本著で紹介されています。

      実は私自身も著者と同じ疑問をもっていた一人です。

      ゆえに今まで私のカウンセリングも
      この本に書かれていることとほとんど同じ考え方
      に基づいて行ってきました。

      そもそもどんな病にしろ
      その症状には意味があります。

      たとえば体に耳を澄ますと

      疲れている
      だるい
      眠れない
      痛い
      痒い
      動機がする
      熱がある
      めまいがする
      喉が詰まる感じがする
      咳が出る etc...

      また心に耳を澄ますと

      気力が出ない
      イライラする
      不安感がある
      緊張する
      何をしても楽しいと感じられない
      人ごみが怖い
      人に疲れる
      考えごとが止まらない etc...

      などなど
      ありとあらゆる症状がありますが
      これらの症状を消す
      あるいは緩和させる
      というのが対処療法ですが

      しかしながら
      それと治るということとは違うと思います。

      あくまでそれは治ることに繋がるだろうと
      予測されたものであって

      これらの症状には
      全てその人に何らかの無理や負担が生じている
      という見方をする必要があるかと思います。

      しかし人間とは複雑系の生き物ですから
      その症状のサインの読み取るには

      遺伝的要因

      生育歴的要因

      環境的要因

      性格的要因

      その人の人生に起った様々なことによる要因

      生活習慣による要因

      食生活による要因

      など、いろんな観点から見る必要が
      あると思います。

      ゆえに症状というものは
      単に抑えればいいというわけではないと思います。

      それゆえ特に
      原因不明の身体やこころの不調については
      そのあたりのことをよく知る必要が
      あると思うのです。

      そう考えた時
      ある意味それらの症状は
      自分の人生を見直すためのサインともいえるのです。

      ただし薬物療法が無意味だとは思いません。

      極端なことを言えば
      いくら体に負担がかかっても
      普通は麻酔なしに手術を受けることは到底無理であるように

      その症状によって社会生活に支障をきたす場合は
      一時的に薬の力を借りることも必要ではないか
      と思います。

      それゆえ私は
      薬物療法を受けておられる人を
      決して否定するわけではありません。

      しかし
      薬を飲めば治るという安易な考えに基づいて、
      ダラダラと飲み続けるうちに
      薬に依存し、薬なしでいられなくなるというリスクが
      あるのも事実だということを言う人も必要だと思います。

      世の中にはうつに関するいろんな情報が
      ありすぎるほどありますし
      また専門家の戸をたたいても、その人によって
      治療に対する考え方が違ったりするので

      うつに苦しんでいる人達にとっては
      いったい何を信じていいのかわからない
      という苦しみもあるかと思います。

      でもだからこそ、
      自分の中にある自然治癒力を信じてみよう
      と思われることも大切ではないかと私は思います。

      なぜなら
      先ほど申し上げましたように
      症状の元となるものを辿っていけば
      必ず改善部分に気づくことができるからです。

      しかしながらそれは途方もない時間がかかる
      と思われる方もみえるかもしれません。

      でも考え方によっては
      一番近道ではないかと私は思います。

      それは
      こころの病というのは、ほかでもない
      自分が作りだしたものだからです。

      でもそれは自分だけのせいで悪くなった
      ということを言っているのではありません。

      そうではなく
      いろいろな原因や理由が重なって
      ありのままの自分が生きられなくなっている
      ということだと思うのです。

      それゆえ
      こと私のカウンセリングにおいては
      クライエントさん自身への理解を深めることを
      大切にしているのです。


      いずれにしても
      今日ご紹介した本の中には
      うつを改善するために必要なことが全て
      とてもわかりやすく書かれています。

      それゆえもし
      自分の家族や友人でうつに苦しんでみえる方がいたら
      ぜひ一度この本を読んでみてください。

      そしてご自分でもよい本だと思われましたら
      ぜひ読ませてあげてください。






      この本は、
      今まで私がクライエントさんから学ばせてもらった
      大切なことが
      医学的見地を踏まえて、
      とてもうまくまとめられているように思いました。

      しかもとてもわかりやすいです。

      良書がきっかけで、
      自分の人生が変わることもあります。

      そうなることを願って、
      現在うつで苦しんでみえる方に向けて、
      この本をご紹介しました。








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      自分を観察することは自分を愛すること

      2015.11.28 Saturday 20:23
      0

        みなさん、こんにちは。

        私が小学生の時には
        理科授業の一環として
        朝顔とかひまわりを種から育て
        その観察日記をつけたりしたものですが

        今になって
        観察をするということは、
        いかに貴重な経験であったかということが
        よくわかります。

        特にそれは
        カウンセリングを受けられたことがある人なら
        よくわかると思うのですが

        自分の体調やこころの状態を
        毎日、意識的に観察するようになると

        自分に対するいろんな気づきが得られるように
        なってきます。

        たとえば
        自分はどんな時に緊張するのか
        またどんな時にリラックスしているのか
        ということや

        あるいは人のどんな言葉や態度に
        反応しやすいかとか

        また
        体からのメッセージを聞きとることによって
        無理しているのではないかということや
        よくない生活習慣などに気づけたりすることが
        よくあります。

        それによって
        自分は何を変えると今よりも健康になり
        また人生をよくしていけるかということが
        わかってくるものです。

        しかし自分を観察にするには
        ちょうど朝顔やひまわりを観察したときのように
        極めて客観的であることがのぞましいと思います。

        たとえば
        朝起きて、
        気分が重いようであればそれはよくない

        また昨日と同じような集中力がもてないから
        反省するというのはただの観察ではありません。

        観察というのは
        自分の判断とか願望を通して、
        その状態を見ようとすることではなく

        あくまでその状態を正確に見聞きしようと
        することです。

        そしてそのように自分を観察するならば

        毎日自分は同じではないこということや
        毎日自分は変化しているという当たり前の事実を
        受け容れることができるようになると思います。

        そしてそれは
        他者に対しても同じように思うことができるように
        なるため

        他者の気分に対して
        必要以上に神経を遣う必要もなくなってきます。

        またそれだけではなく
        自分に対する誤認がなくなるため
        本当の自分を理解することに繋がっていきます。


        私達はひとたび体とこころのバランスを崩すと
        思っている以上に
        自分のよくない状態だけに囚われて
        それを一日も早くなんとかしようという思いに
        駆られがちですが

        そのように
        自分の意図する自分にならなければいけない
        という気持ちが強ければ強いほど

        焦る気持ちが出てきて
        それが不安を膨らますことになったりします。

        また常にこうあるべき自分だけがよい自分で
        そうできない時の自分はよくないという思いは

        自分に対する理解を拒み
        自分に無理をさせ続けることになりますので

        結果的にはもっとよくない状態へと
        自分を追い込んでしまうようなことになります。

        それゆえもし現在、何か不調を感じるようでしたら
        試に、一日一回でもいいですから
        自分一人だけの静かな時間をとって
        自分の身体やこころの状態を
        毎日観察してみてください。

        恐らくそれを2週間続けただけでも
        何か今までと違った安心感を感じられるのでは
        ないかと思います。

        なぜならそれは
        自分を大切に思う愛の行為だからです。

        それはもう意識の上では思い出せないかもしれませんが
        普通であればかつて私達が赤ちゃんの頃、
        毎日毎日、母親(あるいは父親)によって
        丁寧に観察されていたはずです。

        またその行為を通して
        自分とは大切な存在であるという感覚が
        得られているものではないかと思います。

        そしてその感覚は
        誰にでも「自分を観察する」ことにより
        呼び戻すことは可能なのです。



        では今日の最後に
        Terry Cole(精神療法家)の言葉をご紹介して
        終わります。

        あなたが自分を変えたいと思う時、
        それができるかどうかは
        どれだけ意識的に自分の行動を選択できるかにかかっています。

        それは即ち、どれぐらい意識のレベルを高められるか
        つまりどれだけ自分を正しく観察し、
        「自分に気づく」ことができるようになるかにかかっている
        ということです。





        知識を得ることは
        自分の体とこころは置いてきぼりのまま
        頭だけが知ること

        でも自分を観察して得られた気づきは
        自分とその考えが一体化することです。

        本来「わかる」とはそういうことだと思います。
                           崖っぷちのカウンセラー




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        無実の罪悪感

        2015.11.27 Friday 16:44
        0

          みなさん、こんにちは。

          私達には大なり小なり
          罪悪感というものがあります。

          それは人間としての良心というものがある以上

          誰でも故意に人の身体やこころを傷つけたり
          あるいは自分の間違った言動や態度によって
          人の幸せや自由を損ねたりすれば

          それはたとえ人に指摘されなくても
          自分が悪いということを知っているはずです。

          その時に生じる罪悪感は
          人としてあたりまえの感情だと思います。

          しかし実はそれだけではなく
          何も自分は罪を犯すようなことをしていなくても

          あたかも自分が誰かを傷つけたように
          思わされてしまったり

          あるいは
          自分が悪いから誰かを困らせたているかのように

          他者から罪悪感をなすりつけられたり
          あるいは
          植えつけられたりすることもあります。

          たとえば
          A子さんの両親は彼女が7歳の時に離婚しました。

          A子さんはそれまでに
          母親から父親のよくないことをいつも聞かされていました。

          いつもA子さんは、
          お母さんのことをかわいそうだなあと思っていました。

          しかしそれど同時に、その話を聴くのは嫌でした。

          また時々、無性に寂しくなって
          お父さんに会いたいという気持ちになりました。

          でもなぜかそう思う自分は
          間違っているような気がしました。

          またお母さんを裏切っているような気がして
          後ろめたさを感じました。

          それゆえお父さんに会いたいとは
          言いませんでした。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


          これはいうまでもなく無実の罪悪感です。

          また無実の罪悪感とは
          このようにほとんどの場合、
          本当の気持ちを抑圧せざるを得ない立場や状況に
          あるときにもたらされるものです。

          ではなぜ人は
          時に自分が大切だと思う人であっても
          そんなことをしてしまうのでしょうか?

          私が思うにそれは恐れがあるからです。

          私達はできることなら
          愛する人に嫌われたくない

          またできることなら
          愛する人に去られたくない
          と思っています。

          それは人として自然な感情ですが
          しかし行き過ぎればその相手への依存も高くなり
          ゆえに相手を支配したり操作することになるのです。

          さてA子さんの無実の罪悪感は
          大人になった彼女にどんな生き辛さをもたらしたのでしょうか。


          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

          A子さんには家庭(夫と子供)がありますが

          A子さんは夫に嫌われたくないから
          本当の気持ちは言わない

          見捨てられたくないから
          嫌なことでも我慢してやる

          しかしそれと同時に
          本当は夫はこうすべきであるということが
          いくつもいくつも頭に浮かんできて
          無性にイライラするときがよくある

          またそんな自分に嫌悪感を感じる

          こどもにはいい母親を頑張ってるつもりだけど
          時々感情がコントロールできず

          些細なことでものすごく怒ったり
          八つ当たりしたりしてしまう

          そんな自分を責めては落ち込んでしまう


          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


          このように
          かつてA子さんが知らないうちにもたらされた
          無実の罪悪感は

          他者とシンプルなコミュニケーションをもつことが
          難しくなる要因となります。

          また罪悪感が強ければ強いほど
          それを責められたくないという防衛から
          なんでも人のせいにしたりする傾向があります。

          自分一人の静かな時間をもったとき
          いつもなんとなく後ろめたさを感じている人がいたら

          自分を無実の罪悪感から解放してあげる必要が
          あるかもしれません。

          またそれは
          いったい自分はどんな感情を抑圧したままでいるのか
          ということに気づいてあげることでもあります。

          多くの場合は
          怒りを向けるべき相手に
          怒りを表わすことができなかったとき

          その怒りが自分に向いて、
          罪悪感となってしまうようです。

          ちなみにA子さんも、

          かつて自分がこどもの頃
          いつもお父さんの愚痴ばかり言うお母さんと
          またどんな事情があるにしろ自分を置いていった父親に
          怒りがあったことに気づき

          こどもでありながら
          両親の問題を抱えさせられていたことが
          いかにこころの負担になっていたか
          という自分への理解が深まると

          徐々に無実の罪悪感から
          解放されていくのではないかと思います。









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          毎日使う言葉は、よくも悪くも恐るべし。

          2015.11.26 Thursday 15:53
          0

            みなさん、こんにちは。

            私は以前にも書いたことがありますが
            人が変わるということは簡単ではありません。

            しかし普段自分が何気なく使っている言葉や
            口癖を意識的に変えようとすることは
            意外とできたりするものです。

            ではなぜ私がこのようなことを申し上げるのか
            といいますと

            繰り返し使われる言葉は潜在意識に刷り込まれ
            やがてはその言葉に自分の態度や行動も
            支配されることになるからです。

            たとえば
            「どっちみち無理だよね。」
            なんてことを相手に伝えた時
            その言葉は自分の耳にも入ります。

            ですからこの言葉が口癖になっていれば
            その言葉通りの結果をもたすことになり
            またその結果からさらにその言葉への確信を
            深めてしまうことになる可能性があるということです。

            試に
            日頃自分が何気なく話している言葉の中に
            自分にとって思わしくない言葉があるかどうか
            ということを気にかけてみてください。

            意外と自分の可能性の芽を摘んでしまうような
            ことを平気で言っていたりすることがあるものです。

            またそれは
            小さい時に自分の周りの大人(主に親)から
            しょっちゅう聞いていた言葉だったりすることが
            よくあります。

            それらを一度意識化して
            周りの大人による間違った解釈を
            そのままインプットされていないかどうか
            検討してみるといいかもしれません。


            たとえば私はよく母親に
            「あなたは熱しやすく冷めやすいから駄目だわ。」
            と言われていました。

            確かに最後までやり遂げることができず
            途中でやめてしまったこともいくつかあります。

            ゆえに長い間、私は飽き性で何をやっても
            最後まで続けられないというセルフイメージを
            もっていました。

            しかしよくよく考えると
            それは熱しやすく冷めやすいからではなく
            やってみたものの、あまり好きではなかった
            ということがほとんどのように思います。

            また好きなことで、
            これをやろうと自分で決めたことは
            意外や意外、石にかじりついてでも
            最後までやり遂げようとする自分に気づいたのです。

            そしてそれからは
            今までのセルフイメージを自ら変えました。

            よって現在のそれは

            「やれるかどうかはやってみなくちゃわからない。
             でも好きとわかったらとことんできるもん。」

            というのが私だと思うので
            そう言うようにしています。

            また私の母は褒め上手ではありませんが
            その代わり、良くも悪くもこどものように
            思ったことを正直にそのまま言葉にする人です。

            その母が
            「あなたは帽子だけはよく似合う」
            とよく言ってくれましたので

            いつのまにか
            私はそう思い込むようになったようで

            「私は帽子が好き」とよく言いますし
            それゆえたくさん帽子をもっています。

            そして出かけるときは
            必ずと言っていいほど帽子をかぶり
            それでなんか素敵になったと思い込んで
            気分よく出かけるのです。

            毎日使う言葉、恐るべしです。





            一番自分によくない言葉は
            「私なんて〇〇〇・・・。」

            なんて何をやってもだめ

            なんて好きになってもらえない

            なんて大した学歴もないから

            なんてきれいでもなんでもないから

            だから世の中は不公平だと思うその考え
            それは自分で自分に
            そういう魔法をかけてるってことです。

            それに気づいたら
            「私なんて」のなんては完全に余分どす。
            ですから
            自分の人生からとっとこ追い出しちゃいましょーっ。

            大体、それはあまりに自分に失礼ってもんどす。

            そして今日から
            私が私のために責任もって
            私がどんどん素敵になるような魔法の言葉を
            私から私へ与えてあげられると

            やっぱり私は素敵〜!になる かもですよ。



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            愛されることだけを頑張り過ぎていませんか?

            2015.11.25 Wednesday 11:21
            0

              みなさん、こんにちは。

              かつて私達が幼いころは
              いかに親に愛されるかということがとても重要であり

              ゆえに大なり小なり
              人はみな、愛されるために頑張り
              また愛された分だけ「この自分であっていい」
              というこころの安心感が生まれます。

              そして大人になるにしたがって
              ただ愛されることだけではなく
              自ら誰かを愛するようになろうとします。

              それは
              愛されたいという受身の自分から
              愛するという能動的な自分になることでもあります。

              そしてそうあるためには
              その相手を信じることが必要になってきます。

              しかし
              常に相手の気持ちを確かめなくては
              不安になる人もいます。

              そのような人はことあるごとに
              相手を疑ったり
              あるいは嫉妬して

              自分の不安を相手の言葉や態度で
              否定してもらうことによって安心しようとします。

              そしてそんなことを何回も繰り返していると
              当然、相手の気持ちは冷めていき
              その人から離れていきたくなります。

              するとやっぱりこの人は冷たい人だった
              だから信じなくてよかったと思うか

              あるいは
              相手が離れていこうとすると

              途端に自分の非を認め、
              これだけ愛しているのだから
              その私を捨てないで欲しいとすがりつく場合も
              あります。

              そして自己犠牲も厭わず
              献身的に相手に尽くしたりしますが

              それもやはり
              ひたすら愛されたくて頑張っていることですから

              心の中では同じように
              相手にも自己犠牲的な愛を期待し

              それが得られないと
              やはり愛されていないのではないか
              という疑いが強く膨らんでくるため

              相手に尽くすか、あるいは疑う
              という両極端を繰り返しながら悪循環の関係に
              なっていきます。

              また愛されてるかもしれないと思うと
              今度は相手に完璧を要求し

              結果的には相手は私を見捨てるかもしれない
              という状況を自ら創っていってしまいます。

              これを読まれた方の中には
              「これって私のことを言われてるの?」
              と思う方もみえるかもしれませんが
              その心配には及びません。

              私はカウンセラーですから
              クライアントさんのことを例にすることは
              絶対ありません。

              さきほどの例にたとえた人は
              かつて若いころの私のことです。

              さてでは
              なぜそんなに人を信じることが難しかったのか
              というと、

              今ならよくわかりますが
              依存すべき時(幼少の頃)に
              親にしっかり依存できていなかったからです。

              特に私の場合は
              親にベタベタまとわりつくとか
              メソメソ泣くとか
              あるいは「自分でできないからやって〜。」
              みたいな甘えを抑圧していたと思います。

              なぜなら、それは弟の専売特許みたいなもので
              長女に生まれた私は
              少々のことでは泣いたり弱音を吐かず
              自分のことはなんでも自分でできて
              親にとってはまにあう子にならなければ
              愛されないと思っていたのではないかと思います。

              ゆえにさて恋愛になると

              さみしいとか
              くっつきたいという依存欲求をうまく表現できず

              またよもや
              自分がそれを相手に求めているとも思わず

              されど
              曲がりくねった歪んだ方法で
              なんとか相手がのぞんで私を依存させるように
              していたのではないかと思います。

              そのひとつが相手を信じようとしない
              ということでした。

              そうすれば相手が頑張ってくれたりするからです。
              またそれによって
              こころの不安を打ち消してもらえるからです。

              そしてそれらは
              本人の自覚がないまま無意識にそうしていたのです。

              またよもやそれ(疑うこと)が
              相手を傷つけることであるということも
              知りませんでした。

              ということは愛されたかっただけで
              愛することができなかったのです。

              もしこのように
              恋愛した相手に感情移入すればするほど
              その関係を壊してしまうようなことを
              何回も繰り返している人がいたら

              一度、自分と親との関係を振り返ってみると
              いいのではないかと思います。

              すると
              自分の依存傾向や劣等感
              あるいは幼児性や不信感など

              いわゆる愛着障害によってもたらされた
              こころの不健康な部分に気づくことができる
              のではないかと思います。

              またそれは自分への理解を深め
              自らを大切にしようということに繋がっていきます。

              そうすれば
              愛されようとすることよりも

              相手を自分のように大切に扱うことが
              愛することであり
              また愛されることになる

              ということが頭でわかるのではなく
              心で感じられるようになってくるのではないか
              と思います。







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              気分が教えてくれることを大切にね。

              2015.11.24 Tuesday 15:37
              0

                みなさん、こんにちは。

                さていきなりですが
                今日のみなさんの気分はどんな感じでしたか?

                この連休中にしっかり息抜きされて
                気力がみなぎっている感じがする人もいれば

                ろくろく体も心も休むことができず
                朝から気が重かったという人もみえるかもしれません。

                しかしどんな気分ならよくて
                またどんな気分がよくないなどと
                思う必要はないと思います。

                それよりも
                気分というのは
                身体とこころを心地よく活動させるために必要な気力が
                十分であるかどうかということの
                バロメーターみたいに思うといいかもしれません。

                もし今仮に、
                何もやる気がしないし
                ちょっとしたことで落ち込みやすい
                いわゆる気分がすぐれないようであれば

                気力が衰えているときだととらえて
                無理にその気分を変えようと発奮させず

                こんな時もあると思って
                その気分に寄り添ってあげるようにすると
                いいのではないかと思います。

                またそういう時は
                何をするにも、そこそこできたらそれでいい
                というように、

                全てにおいて、
                いつもより自分に少し甘めにしてあげる
                といいのではないかと思います。

                また特によく気働きできる人は
                自分の気分より、他者の気分の読み込みのほうが
                忙しかったりするので

                そういう時は
                少々呑気で無神経であろうとするほうが
                気力が溜まりやすくなります。

                しかしそのようにしようとしても
                周りの人からやる気がないと思われたり
                あるいは気儘で身勝手だと思われるのではないか
                などということが気になり

                なかなかそうすることが難しいという人も
                いるかもしれません。

                しかしだからといって
                そこで気合を入れ、
                歯を食いしばって頑張らせ続けようとすると

                知らず知らずのうちに
                身体も心もカチカチに固くなり
                そのうちポキンと折れてしまうこともあります。

                ゆえに気分が萎えているときは
                いったん力(気)を抜こうとすることは
                とても大切なことです。

                そもそも気というのは
                引っ張る力と
                緩める力

                この二つの力が交互にバランスよく働くことによって
                身体もこころもしなやかになります。

                さて今日の記事では
                気という言葉がいくつか使われていますが

                気分
                気力
                気働き
                呑気
                気儘

                そして病気と書いて病も気からといいます。

                できれば
                気が滞りを起こさないように

                その日の気分が教えてくれることを
                大切にして過ごすことができるといいですね。







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                「お金もちになれるかも!」という話

                2015.11.23 Monday 16:53
                0

                  みなさん、こんにちは。

                  さとうみつろう著の「神様とのおしゃべり」
                  という本の中に

                  簡単にお金持ちになる方法について
                  書かれていますが
                  これがなかなか面白いです。

                  著者は、
                  そうなるためには
                  まず最初に「神様はお金が好き」と思うことが
                  大切であると言っています。

                  それには
                  神様がほくほくとした嬉しそうな顔で
                  お金を数えている姿を想像する

                  そうすれば人間の道徳観の一番下を支える
                  神様でもお金が好きなのだから

                  私達人間も堂々と、
                  お金が欲しいです。
                  お金が大好きです。
                  と思えるようになるということです。

                  それによって
                  「お金は汚い」という観念から
                  「お金は尊い」という観念に変えることができて
                  素直にお金を愛する気持ちになれるそうです。

                  二番目は
                  「お金持ちになるのは難しい」という思い込みを
                  捨てる必要があると言っています。

                  著者が言うには
                  世の中には宝くじが当たったり
                  あるいは親の遺産が転がり込むなど
                  簡単にお金持ちになる人もいるのですから

                  やはりこれも
                  「金持ちになるのは難しくない。簡単だ。」
                  という観念に塗り変えるほうがいいそうです。

                  三番目は
                  本当にお金もちになりたいのなら
                  与え上手になれと言っています。

                  たとえば神社の賽銭箱に1万円入れることができる人は
                  また簡単に一万円入ってくると思うから
                  そうできるわけで
                  それが難しいと思えばできないのです。

                  そもそも
                  人というのは簡単に入ってくると思うものは
                  簡単に手放すことができるものだそうです。

                  ゆえに本当のお金持ちは
                  お金が入ってくることは難しいと思わないため
                  入ってきたものを手放せば、また入ってくる
                  大きく手放せば大きく入ってくる
                  という思考に基づいているそうです。

                  四番目はお金だけに価値を与えていては
                  いけないと言っています。

                  お金の価値とは
                  世の中の豊かさの中でわずか0.01%であって
                  残り99.0%の豊かさに気づく必要があるそうです。

                  その方が早くお金持ちになれるそうです。

                  そのためには
                  お金を払う側(お客さん)が偉いという考え方を
                  捨てて

                  たとえば100円払ってオニギリを買ったら
                  お米を育ててくれたお百姓さんにありがとう
                  またオニギリを作ってくれた人ありがとう

                  という気持ちを言葉にしてお金を払うようにすると
                  いいそうです。

                  それによって
                  受けたサービスよりお金のほうがえらいという錯覚から
                  目を覚ますことができるそうです。

                  5番めは深層意識にある「買えない」という観念を
                  「買える」という観念に変える必要があると言ってます。

                  よく私達は、
                  到底自分には買えそうにないもののことを
                  考えては、買えないと思う癖がついていますが

                  それゆえ著者は
                  500円もって駄菓子を好きなだけ買う経験を
                  しろと言っています。

                  私は 買える 

                  この気持ちよさと喜びを無意識に刷り込むことは
                  いわゆる否定的な観念を塗り替えることになり
                  実際に「私は買える人間になる」ようです。

                  そして最後に
                  お金持ちを素晴らしいと褒めることである
                  と言っています。

                  他人の成功をこころから祝うことは
                  「そのうち自分もできるはずである」
                  ということを宣言するのと同じだそうです。


                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


                  いずれにしても
                  欲しいものはまずそれを望み、求め、
                  そして愛さなければ受け取ることはできない
                  ということのようですね。

                  またいくらお金持ちになりたいからといって
                  お金だけに価値を与えていると
                  それ以外の豊かさに気づけなくなってしまう。

                  そしてそれはお金入ってくる流れにも
                  よくない影響があるようです。

                  考えてみたら
                  お金というのは、人から人へと流れていくもの
                  ですものね。

                  ではこれを参考にお金持ちになろう〜!
                  またなれたらいいな〜 
                  とは思いますが・・・

                  実際に私達が受け取ることができるのは
                  求めた通りのものではなく

                  自分にちょうどふさわしいものが
                  与えられるのではないかと私は思っています。









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                  私には取り柄なんてなんてないと思っている人へ

                  2015.11.22 Sunday 19:39
                  0

                    みなさん、こんにちは。

                    世の中には
                    「私には何も取り柄がない」と言う人がいますが

                    それは人の才能かとか取り柄というものは
                    たくさんの人の目をひく
                    目立つものでなければならない
                    と思っているからではないでしょうか。

                    でも人の才能というものは様々です。

                    たとえば桜の木は
                    春になると美しい花を咲かせ

                    また紅葉は秋が深まる頃
                    葉の色を深紅に変え
                    多くの人に注目されます。

                    このように
                    人々の目を引くような才能の花を咲かせる人も
                    います。

                    松の木は
                    目だった花を咲かせることもなく
                    また葉の色が変わるわけではないけれど
                    いつも同じ緑色の姿を保ち続けています。

                    このように
                    決して人目を引くわけではないけれど
                    不変の姿を保ち続けることができる
                    という才能の花を咲かせる人もいます。

                    たとえば

                    田畑の世話をし続ける

                    きちんと家事をやり続ける

                    代々続いた店の味を提供し続ける

                    こういったことなども
                    実は立派な才能であり取り柄ではないか
                    と私は思います。

                    それは自分がやってみればよくわかります。

                    何か一つのことをやり続けること
                    またその質を落とさないようにすることは
                    誰にでもできることではありません。

                    そしてそういうものは
                    決して飽きられることなく
                    不変のものとしてやはり生き残ることが
                    できるものではないかと思います。

                    そんなふうにあらためて周りの人を眺め直してみると
                    安定感のある人にはそんな才能や取り柄が
                    あることに気がつかれるのではないかと思います。

                    そして自分のことも同じように

                    たとえ目立つことではなく
                    また社会から高い評価を得られていないことでも

                    毎日心を込めてやり続けていることがあるならば
                    それは紛れもなく自分の才能であり取り柄なのだと
                    認めてあげるといいのではないかと思います。






                    松樹千年の翠という禅語がありますが
                    これは「変わらない質、能力を維持できることが才能である」
                    という意味だそうです。

                    毎日、家族のために栄養バランスを配慮した食事を
                    作ってくれるお母さん

                    毎日、家族のために仕事に出かけるお父さん

                    毎日、お年寄りを介護する人

                    毎日、子育てを頑張っている人

                    その毎日を続けていくことができる人は
                    松の木のような才能があるということですよね。

                    ちなみに明日は勤労感謝の日。
                    自分の周りにいる才能溢れた人に感謝しましょう。(^^)





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                    逆もまた真なりという見方

                    2015.11.21 Saturday 21:23
                    0

                      みなさん、こんにちは。

                      私は日々の仕事を通してよく思うことがあります。

                      それは
                      人というのは長所が行き過ぎると
                      それが生き辛さになるということです。

                      たとえば真面目であるということは長所ですが
                      それが行き過ぎると
                      四角四面の考えにとらわれて柔軟性のある
                      考え方ができなくなったりします。

                      また器用であるということも長所ですが
                      なんでもそこそこ簡単にこなせるため
                      逆にこれだけは人よりも得意であるというものが
                      よくわからないということもあります。

                      またその反対に
                      短所というのは、見方を変えると
                      長所でもあるということです。

                      たとえば
                      私は決して器用とはいえず
                      どちらかというと不器用な人間です。

                      ですからうまくやれることが色々あるわけでは
                      ありません。

                      それゆえ
                      これなら自分にもできるということを
                      毎日コツコツとやり続けることができます。

                      そう考えると
                      意外と短所が長所だったりすることも
                      あるのです。

                      また長所が自分を大変にしている場合もあるのです。

                      いわゆる
                      逆もまた真なりというやつだね。

                      世の中を眺めまわしてみても
                      そういうことがけっこうあるように思います。

                      それゆえ私は
                      時々ものごとを反対から見るようにしています。

                      特に
                      便利ですよ

                      簡単ですよ

                      安全ですよ

                      権威ある○○ですよ

                      国が認める○○ですよ

                      即効性がありますよ

                      有名ですよ

                      万能ですよ

                      流行ってますよ

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      でもそれが行き過ぎれていればどうなんだろうね?
                      またその反対はただ悪いだけなのでしょうか?

                      自分の頭で考えることが必要な時代なんじゃないかな〜
                      などということをよく思う今日この頃です。









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                      • 自己肯定感を強めるには、まずは自分を幸せに
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